猫はやっぱりノルウェージャン!

威張る幼女の戯れ言日記

「ロリババア」が有する利点

1番最初の記事で「 ポケモン(ダブルバトル)、COJ、ハースストーン、音ゲー(maimai/チュウニズム)、そして何より幼女についてつらつらと語っていけたらいいな、と思っております 」って書いてあるんですが、本当に今まで幼女の事以外何も語ってないですね……。


幼女の事以外で1番語れそうなのが「ポケモン(ダブルバトル)」なので、そろそろそちらの話題も語っていこうかな、と思います。


さて今回は「ロリババア」についてです。


個人的には名称に「ババア」が付いているのは些か暴言が過ぎるのでは?と思わなくもないんですが世間的にはこれで浸透してますし、一応キャラクターの性質を表す場合に「ロリババア」という単語がわかりやすいのは確かなので誠に遺憾ではありますがこのまま話を進めていこうと思います。


まずロリババアとは「外見がロリであるにも関わらず、実年齢はずっと上であるキャラクター」の事ですが、「実年齢が上」の範囲は現実準拠に留まりません。


有名な例といえば皆さん大好き「フランドール・スカーレット」が挙げられます。


このキャラクターは外見が完全に幼女であるにも関わらず、実年齢は495歳と現実では考えられない年齢です。


では、このような「外見と実年齢の乖離」によってもたらされる利点とは果たして何なのでしょうか?


1つは簡単で、「ギャップ萌え」です。


外見が完全に幼女のキャラクターが大人特有の価値観、仕草、喋り方をすれば、それは相当なギャップ萌えを生み出します。


更に「ギャップのギャップ」という効果も期待出来ます。


「ギャップのギャップ」について説明しますと、皆さんがロリババアを見る場合、最初こそ外見と内面の食い違いによりギャップが発生しますが、時間が経つにつれてその食い違いは「ギャップ」ではなく「普通」になってしまいます。
(決して、『時間が経つにつれてギャップ萌えが薄れ可愛さが無くなる』という意味ではありません)


そこでロリババアが唐突に外見通りの幼い行動や発言をした場合、その行動は外見通りであるにも関わらず「ギャップ」が発生します。
これこそ僕が「ギャップのギャップ」と呼ぶ現象です。


これが出来る分ロリババアは1人で2度美味しいと言えるので、オタク向けキャラクターとして特にコストパフォーマンスが良いと考える事が出来ます。


また、「完全に『合法』である」というのも利点でしょう。


妄想の中でくらい警察の存在を気にしないで幼女とあれこれしたいですよね?


そして最後に、「色々と知識が豊富である」という事が挙げられます。


皆さんも「どうやったら幼女に踏んで貰えるだろう?」と、このような事を考えながら毎日を過ごしているかと思います。


しかし、ここには大きな落とし穴が存在します。


仮に奇跡が発生したとして、幼女に踏まれる状況を作り出す事が出来たとしましょう。


ですがこの「踏む、踏まれる」という行為、これに対し両者の考える意味が全く異なるというのが問題なのです。


僕達が踏まれる場合、この「踏まれる」という言葉には少なからずSM的要素が含まれます。
Mだから踏まれたいし、踏まれる訳です。


しかし幼女は違います。


実年齢通りの幼女の場合、そのような方面に対する知識は0と言えるでしょう。


つまり、先程の「幼女に踏まれる」という状況、これは「幼女がSであり、踏みたいから踏む」という事には成り得ないというわけです。
(『頼み込んだ結果理由もわからずにとりあえず踏まれる』、『幼女の通り道に寝転がってたら偶然踏まれた』辺りが関の山でしょう)


この「踏む」「踏まれる」に対する双方の認識の齟齬、これがある限り僕達は「本当の意味で」踏まれたとは言えないのです。


しかし、幼女が幼女の年齢である間にそのような知識を付けるのはほぼ不可能です。
万事休すかと思われた僕達の前に一筋の光が如く射し込む希望、これが「ロリババア」です。


彼女らは僕達よりも遥かに歳上であり、勿論そのような知識を得ていたとしても不思議ではありません。


つまり踏みたいから踏み、踏まれたいから踏まれる、この認識の一致をロリババアでは狙える、という事です。


これは一例ですが、他にも「罵る」、「蹴る」等様々な状況に於いて「知識を有している」というのは役立ちます。


ちなみに作品のストーリーを作る視点から見ても、知識が無いよりは有る方が勿論動かしやすく心理的動機も付けやすいです。


このように「ロリババア」とは「幼女の可愛さを持ちながら、非常に様々な方面で役割を持つ事が出来るキャラクター」である、と言える訳ですね。





……はぁ、現実でロリババアに踏まれたい人生でした……。